末期の肺癌患者に対しての関わりを通して学んだ、看護アセスメントの重要性

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#720 2019/06/01UP
末期の肺癌患者に対しての関わりを通して学んだ、看護アセスメントの重要性
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末期の肺癌患者(Yさん)は未告知で病院で家人は病院での看取りを希望されていました。しかし関わりの中で、医療スタッフがYさんや家人の思いを理解していなかったこと、またご夫婦の深い愛情がとても尊いものであったかということ、そしていかに看護師のアセスメントが重要かという点を学びましたので、事例をあげて紹介します。  

肺がん患者さんへのアセスメント方法

患者について

患者は78歳男性(当時)。Yさん。 ステージ4の末期の肺腺癌。肺癌は告知されているものの、末期で在宅復帰は難しい状態とは知らされていません。化学療法(抗癌剤治療)が開始となって何クールかしていた時に担当看護師が私に交代(前職が産休の為)となりました。 ご家族に告知は済んでおり、病院での看取りを希望されました。胸部痛や呼吸苦は担当交代当初はなく、ADLはほぼ自立。過去には漁師として活き勇んで活躍していたこともあり、家人曰く「この人は昔気質で頑固者で俗にいう亭主関白を絵に書いたような性格」とのこと。化学療法で髪の毛は抜け落ち食欲も低下している中、気丈に振る舞っている姿を見て、たくましささえ感じるほどでした。

ご本人からの言葉

担当が交代し、出勤時に声かけをしていく中で、

はよ家に帰りてえ。病院は好きじゃない。タバコも吸いたいし。飯もまずい。俺のいる場所はここじゃない。

など、治療に対して消極的ではないが、積極的でもない言葉をよく口にされていました。私の勤務先は第三次救急病院で地域の中核病院でもあり多忙で有名な病院であった為、言い訳がましいですがあまりYさんとゆっくり関わることもできず、その言葉は一般的なありふれた言葉と認識してました。 実際多くの看護師がこの言葉を聞いて、そんな特別な感情を感じることはないのではないかと思います。

家族背景

家人でずっと連れ添ってきた方が一人(当時76歳)と、疎遠で若い時に家を出て、ごくたまに家人と電話で会話する程度のご子息(当時51)が一人みえるのみ。キーパーソンは家人。

受け持ち当初のアセスメント及び看護介入

受け持ち当初は特段変わりなく、今までの肺癌患者と変わらず淡々と業務をこなす毎日でした。毎回挨拶や検温時にご本人から発せられる「帰りてえ。飯がまずい云々」に何かを感じることもなく、看護師ならではの傾聴共感をしていたつもりでした。 つまりアセスメント&プランは 【帰宅願望が垣間見えるが介護力の不足や家人の病院での看取り希望もあり不可能。適食事が合わない等の話に対して適宜傾聴し共感する必要あり】の一点。 その他、【化学療法時は更衣や清潔ケアを行う。適宜内服管理を行う】等、一般的に看護を必要とする点において介入しているだけで、あとの不足分は付き添いである家人の担当。 これで完璧だと私を含め勤務先の病棟スタッフは思っていました。 ADLはほぼ自立している為、状態が悪化するまでは特に実務的に何かすることはないだろうという考えで統一されていたのです。

Yさんの反応と家人の言葉

よく帰りたい帰りたいと言っていたYさん。 その発語の先の視線は私を見ていたわけではなく、いつもカーテンに向いていました。しかしそれは気丈なYさんでしたし昔気質と家人から伺っていたため、目を合わせるのが恥ずかしいのかなと思っていた程度でした。 担当となって一月あまり、今思うと図に乗っていたのかもしれませんが、少し距離を縮めてみようと 「〇〇さん、こちらですよ。こちらをみて話てください」 と、半分笑いながら声をかけてみました。すると、ギロっと今までに見せたことのない視線で私をきつく睨みつけたのです。 思わず後ずさりしてしまいました。その場を早く後にしたかった私は、「失礼しました」とだけ言い、とりあえず失礼することにしました。帰り際にカーテンの外で待機してくださっていた家人に一礼しながら・・・。 その時でした。家人は申し訳なさそうにこっちを見つつも、少し半笑いのようにこちらを見ていたのです。その反応に、私は悔しさや恥ずかしさを噛み締めながら、その中で何か違和感を感じた私は、一旦退室して、考えてみました(今でいうとこれが本当の意味でのアセスメントだったのかもと思います)。 よくよく考えると、家人は私を含め、スタッフが来室する際、いつもカーテンの向こうに、邪魔にならないようにと席を空けてくれていました。 それは医療スタッフに気を遣って、また、もしかしたらあれこれされているところを見られるのを嫌に思うYさん本人を気遣ってのことかもしれませんが、とにかくいつも席を外してカーテンの向こうに立って検温や回診が終わるのを待ってくれていたのです。 その際訪室時に毎度のように発せられる本人の口からでる「帰りたい。飯がまずい」の言葉、視線はいつもカーテン方向・・もしかしたらカーテン越しの家人に向かって放っているのではと、その時ふと思ったのです。 その疑問を本人が席を外したことを見計らって家人に伺ってみると、

やはり看護師さんもそう思いますか?そうなんです。あれは遠巻きに、きっと私に甘えているんです。でもそうなんでしょと言うと、本人は違う!と怒鳴るに決まってる。だから言えない笑 でも、正直嬉しいんですよ。家にいたいって言うのは家が落ち着くし好きってことでしょ?飯がまずいと言うのは、あれは実は私には、お前の作る飯が一番だと言ってくれている気がするんです。あの人、私の作る食事は残したことがない。正直人を褒めることはしないけど、たまにボソッと、うまいと小さく言うことがあるんです。ある意味正直者なんですうちの人。口数は少ない分、無駄口は叩かないし嘘も言わない。弱音なんて全然吐かない人なんです。でもよく気づきましたね、〇〇さん

と、最後に看護師さんではなく、私の名前で呼んでくださいました。

アセスメントの再考から見えた本質

話を聞いて、思わず感動と恥ずかしさが同時にこみ上げてくるような複雑な気持ちになりました。 口数の少ないYさんが弱音に近い思いを吐露しているのはよほどなのか、家人に対して素直に正面に向かって言いづらいことを、我々スタッフに言っているふりをしていたことは、実はとても重要なサインだったのではと疑問に思ったのです。 そこでカルテを読み返し、当初のムンテラでは在宅での看取りは難しいので病院での最期を希望とだけ書かれており、予後も残り少ないとは記載されているけど、一時帰宅や外出外泊がダメとは記載されていない。告知は未となっているが、ご本人の病識については深い記載は見当たらない。 けれどもYさんは帰宅したいと毎度言っている。これはただのぼやきでおしまいにすることはできない、見逃すことのできない事実ではないのだろうかと考えました。

看護介入

担当看護師としてできることはないかと思い、一度Yさんと家人のご希望をお二人揃って伺いたいと、来室時家人にカーテン内に留まっていただき、改めてお話を伺う機会を作りました。 こちらから 「もし1泊でもお家に帰ることができたら、帰宅されたいですか?」 と伺うと、Yさんはだんまりをきめこんでしまいましたが、家人から 「私は一度帰りたいです」 と。するとYさんからも、 「まあ帰りたいって言ってるから帰ってもいいかもな。と言うかあんた(私のこと)には毎日帰りたい言うとるけどな」 と言う言葉が聞かれたのです。その旨を主担当医に連絡。同時に、今一度病状説明を踏まえて、今後のご本人への告知の検討をしていただきたい旨を伝えました。 後日、外泊の許可がおり、ケースワーカー通じて一時帰宅をすることができたのです。 その後わかったことですが、Yさんは自身の病状が良くないことはなんとなく気付いていたとのことでした。そしてそのことを薄々家人もわかっていた様子だったのです。

まとめ・事例を通して得たこと

思い込みや慣れが時に思わぬ医療者と患者との間にズレを生じると言うことです。 ルチーンワークはミスや個人差を解消する手立てになりますが、あくまでアセスメントは患者の個別性を重んじて、患者の性格や今まで歩んできた人生を総合的に艦みて、時に家族などからも情報を仕入れて判断する必要があります。本来習ってきたことではありますが、時に1分1秒を争う医療の世界においてはそこが忘れがちになることがあります。 患者の自主性を重んじると言う聞こえの良い言葉の裏には、物言わぬ患者、家族の思いは遠巻きにされがちになってしまうものだと言うことを忘れてはいけません。そこに気づいて患者の期待に沿う役割は、看護師の役割なのだと思いました。

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